母と私の奇跡の介添えストーリー#14

「奇跡…大解放!苦しいことを楽しむ人に神様はギフトをくれる」

弟は父に手紙を書くよう迫った。

父は黙っている。

弟は母の為に必死になっていた。

今しかできないこと、どんな結果になろうと後悔しない生き方を実践している。

次の日の朝、 

父は手紙を書いていた。

弟は書くと思ってなかったので急いでお守りを買いにいき写真たて、手紙を添え看護師さんに手渡した。

毎回毎回、

母の病状を聞き看護師さんの一言一言を聞き漏らさぬよう弟は努めていた。

父や私にも報告を怠っていない。

弟ほど行動的ではないが、父のサポートや弟の気持ちを汲むことにした。


2021年9月仏滅 9.21


母のお見舞いに行ってきた。

コロナ禍で面会は叶わなかったが看護師さんの計らいで、ビデオ通話を特別に許可してもらった。

(母はスマホを持っていない。)

母の顔をみるのは何日ぶりだろう…

画面に母が映った、鼻に酸素のチューブが入っている。

私:「お母さん、元気そうじゃん!良かったー!ホントに良かった!」

母の目に涙がたまっている。

そして笑顔が見えた。

母:「帰りたいよぉ」

私:「お母さん、皆んなが帰りを待ってるから、頑張ってね。ちゃんとご飯も食べるんだよ!お母さんが退院できること家族で祈ってるから!」

母:「祈っててね…」

私:「お母さん、大好きだよ、また来るからね」

母:「うん…」

この会話はロビーに響きわたってるだろう。

そんなことを忘れ私は母を励まし続けた。

旦那さんの携帯を看護師さんに預けたので母の姿を見ていない。

旦那さん:「すいません…僕、お母さんの顔見てないよ。お母さん、見たいよぉ」

そう言って、母の一瞬を特別に動画に納めてくれた。

旦那さんは心に濁りがなく看護師さんを誘導する魔術師になっていた。

ちょうどその頃、

主治医も居合せており今まで抱えてた旦那さんの心配もなくなっていた。

そして母の様子を一番気にしてる弟と父、従業員に写真を見せた。

皆んなが安堵していた。


2021年 9月秋分 9.23 

いつも病院につくのはギリギリで、今日は母の顔は見れないと思っていた。

慌てて病棟に駆けつけると、母はロビーで外を見ていた。

お互いに元気な姿を目の前で確認できたことが奇跡であった。

ビデオ電話で会話してると、弟の名前を何度も呼んでいる。

私は大きな声で、

私:「今日は仕事で来れないよー!だけど水曜日に顔を出すって言ってた」

母:「はい!」

元気いっぱいな声で答えてくれた。


2021年9月先勝 9.24


主治医から電話をもらった。

医師:「抗菌薬が良好で、肺の影、炎症が薄くなりました。このままいけば安定するのですが筋力が落ちていくので、リハビリが必要になります。ですが、ここの病院はリハビリ病棟がないので、転院先を決めなくてはなりません。つきましては、面談を行いますのでよろしくお願いします。」

と言っていた。

主治医が変わるのか…

不安もあるが、今の母なら大丈夫な気がした。


2021年9月赤口 9.29

介護保険の申請の準備が整った。

そして主治医から今後のことを告げられた。

医師:「ご飯は食べてます、肺の影はなくなってきてますが、酸素は必要です。今後とれるかどうかはリハビリ次第で、在宅酸素は必要になります。」

お母様の病名は膿胸

「肺炎が酷くなったものとお考えください。原因は、今まで薬を飲んだり飲まなかったりと繰り返したことで感染しやすい構造に肺がなってしまいました。そして固定化して肺が破壊したので治すのは難しいです。しかし、今回は抗菌薬の効果、数値の上昇したので良かったのです。ですが… 実際は、こんなに良くなるとは思ってなかったです」

私:「この病気は再発ありますか?」

医師:「残念ながら… 次なったらもう命はありません。」

私:「予防策はありますか?」

医師:「薬をちゃんと飲んで、手洗いとうがいでしょうか。」

私:(黙りこむ)

言葉を失ったが、命を救ってもらったことにかわりはない。

「これからを大切に過ごす」

それに尽きる。


2021年10月友引 10.1


リハビリ病棟のパンフレットをもらった。

装備が充実している病棟を第一希望にして第二、第三希望は部屋が空き次第入院することにした。

そして数日後…

第一希望が通った。


2021年10月赤口 10.5


今日、母はリハビリ病棟に転院する。

母の全身をみるのは久しぶりで、介護タクシーを呼んでもらった。

私:「お母さん、元気?」

母は青空と外の空気に喜びを感じていた。

タクシーの中で今までの話せなかったことを語り母も安心した。

母はしばらく見ないうちに口が達者になってた。

母:「先生は何もしてないよ!なんで入院させたんだ!」

と口調が荒い。

大部屋のリーダー的存在感になっており看護師さんはそれは楽しそうに話してくれた。

母は3週間ここの病院で魂を入れ替えた。

そしてリハビリ病棟での2ヶ月は

生かされた命に感謝しどんな体でも自分らしく過ごす為の努力を積んできた。

時は経ち2021年12月、


母は家の門扉を押した。


「お母さん、おかえりなさい。」