母と私の奇跡の介添えストーリー#9

2021年12月16日

「破壊は幸せのはじまり」


2021年8月


母とは程よい距離感を持ってる親戚がいる。

人付き合いが良く優しい人である。

私が辞職することを両親は納得していないが、

叔母さんは「よく頑張ってきたね。」

私の気持ちを理解してくれてた。

母はいつも「仏になりたい」と周囲に漏らしている。

しかし聞いた人は言葉を詰まらせいい気分ではない。

私は母に注意した。

そして母の身の周りの世話をする度に

「すみません」「ごめんね」

と言われるのはが私は好きじゃなかった。


私:「お母さん、私は好きでやってることだから謝らなくていいよ。そのかわり「ありがとう」で充分だから… 」

母:「変な子だね、だけど言いたいんだよ」

って言いながら感謝を口にしてくれた。


8月30日大安

朝から慌ただしく時間に追われるよう

病院に行く。

採血とレントゲン、採尿は朝、家で摂ることに了承してもらった。

若い主治医はレントゲンをみるなりこう切り出した。


医師:「二週間前と変わりませんね、お薬はどうですか?」

母:「飲めてます。」

医師:今度、朝一からホルモンの検査を行いたいのですが…

母:(黙っている)

私:「母は体力も落ちて、歩くのが苦痛になってきたので、その検査はまだいいです。」

医師:「ならば近い病院を紹介しましょうか?」

その言葉に私は失望した。

母は体力がない。

一日がかりの検査をしたら次の日寝込んでしまうだろう。

負担を回避する為に言ってるのに

この主治医はなんで気持ちがわかってくれないのか…

次回病院行くのは1か月後…

この若い主治医とは意思疎通はありえない。


2021年8月 赤口

母は日を追うごとに悪くなっている。

朝は10時まで寝床から出てこない。

食欲は低下し、体重30キロきっているだろう。

5歩歩いて休憩、気力はギリギリ。

声を絞るようにだし言葉にするのが命懸けである。

なのに、母は

母:「私は元気だよ。なんで皆んな騒ぐんだ。痛くないし、下を向いていると楽なんだよ。」

私はいつも言葉に違和感がなくなってしまった。


2021年9月先負 

母はいつものように下を向いている。

今日の私は父への不満でいっぱいだった。

人生半分を両親に尽くしてきたが、

私の本質や人間性など今日に至るまで理解されることはなかった。

昭和世代の両親はお金で全て解決させる生き方なのか

「ありがとう」や「ごめんなさい」を聞いたことはない。

両親には感謝はしているが、優しい言葉をかけてくれる事は少なかった。

ある日、シビアな出来事があった。

父の一言ですべて丸く収まることなのに…

悪いとわかっていても自分で解決を導くので思ってても

相手に謝罪など口にしない父のスタンス。

以前からこの考え方に生き苦しさを感じており、

私はなんど涙をこぼしたか分からない。

心をなんども壊され再生を繰り返してきたが、そろそろ私に限界がきた。

母に父のグチをこぼすと…


母:「貴方は苦労が足らないんだよ、お金にに困ったことがないからね」

私は母の言葉を疑った。

母は私が大変だったこと知っている。

なのに、父をかばっている。

次の瞬間、私は壊れた。

口からでてきた言葉は心の痛み、怒り、悲しみで溢れ出した。

部屋は私の声と父の声でいっぱいになった。


父:「お前は頭がおかしいよ、頭がおかしくなった、精神病だ、コロナでおかしいなったんだ!」

と何回も何回も私に暴言のシャワーを浴びせた。

私:「お母さんの今の姿をどう思う?」

父:「可哀想だよ…」

まるで他人事

私:「どこが可哀想なの? 私は一度もそう思ったことない!」

  「お母さんは仕事辞めたかったのに、この姿にならなければ仕事を辞めることはできなかったんだよ」

  「お母さんは普通の幸せすら味わえない生活してたんだよ、そんなことも知らずに暮らしていたの?」

父:「そんなこと思ってたのか」

私:「そんなお父さんだから言えなかったんだよ!なんでお母さんが長く生きれないんだよ!」

  「お父さんが先に死ねばよかったのに!お母さんの病気はなんらかの原因で発症したって医師は言ってたよ!」

  「店のストレスと自由のない生活、そしてお父さんの母に対する暴言!」

  「それが原因だよ、お父さんはお母さんを病気にさせたんだ!」

父は言葉に戸惑いながら顔はこわばっている。

私がどんなに叫び泣いても父は明日になったら忘れているだろう。

私の役目は終了し、父と母が助け合って生きていくことを心から望んでいます。

父と母の生活がこのようなカタチでの実現するのは皮肉です。