母と私の奇跡の介添えストーリー #1
2021年夏至
気丈でポジティブ、料理上手で社交的な母は突然元気がなくなった。
私の両親は洋食レストランを営んでおり、
母はお客さんをもてなすのが得意で人気者でした。
以前の母はお料理の盛り付けや従業員の賄い、
合間をみて倉庫の片付けなど積極的に動いていましたが、
今では椅子に座る回数が増えました。
また言葉数が減り掃除もできなくなりました。
耳も遠くなってハッキリしてた口調がもう聞けないと思うと、
胸が詰まり涙がこみあげてきます。
今日は夏至、
医者嫌いの母が近くの病院に行くと言ってきたのです
母:明日病院に一緒に行ってくれない?
私:今日私休みだから今から行こうよ。
(母はうつむいて考えこんでいる)
私:明日は仕事だから病院は夕方になるけどいい?
(母は杖を持ちゆっくり腰を上げた。)
私:服装はそのままで大丈夫だよ
(バックを持ち玄関に行くと、)
母:私の靴汚れてるから拭いてくれる?
(どんな状態であっても身だしなみは気にする母。母の腕を掴むとポキッと折れてしまいそうな細い骨に皮膚が被されているような腕でこう言った。)
母:あなたの腕に私が組んだ方がいいねと言って杖を持ち替えた。
気落ちしている母は100メートル先の病院が遠く感じるらしく、
会話もせず一歩一歩足を踏み出してる。
あんなに温かかった母の手は今は冷たい
病院に予約をしないで来院したので待ち時間が長かったが、
母とのコミニュケーションがなぜか心地良かった。
母はレントゲンと血液検査をした。
医者は構えることなくリラックスした診察で私は引いたが、母はそれが良かったみたいだ。
レントゲンみるなりこう切り出した。
医師:肺が弱ってるなぁ…
だけど酸素は大丈夫だね。
肺専門の先生に紹介状出しとくか
ら行ってみてください。
やはり医者は病気を治せない、ただ寿命を延ばす場所でしかない…
私は投薬や手術を軸にする西洋医学よりも
患部や全体を診る東洋医学を信じ自然治癒力に任せ気をつけてきた。
だけど今、母の姿をみるかぎり西洋医学に頼らざるを得ない。
数年前に咳をし続けると
体力は落ち食欲が低下して痩せてしまうことがわかっていたら…
薬を飲んでた方が良かったのではないかと考えてしまった。
母は毎朝咳が酷くて苦しんでいる。
病名は気管支拡張症で肺が弱り食べものも喉を通さない深刻な状況である。
私の母は薬には頼らずマヌカハニーを食べて肺の調子をなだめてきた。
母は美味しい料理を毎日作ってくれた。
苦しいこと、嫌がる仕事を進んでやってくれた。
妻として母として生き方を背中で見せてくれた。
私が迷ってたら熱心に教えてくれた。
そして何より私の味方であり私を支え励ましてくれた。
こんな事になって思うのは、西洋医学・東洋医学に偏よることなく、
食生活は一汁三菜を基本とし、軽いストレッチと目を閉じて深い呼吸を一定の時間すること。
少しの時間でいいので24時間動き続けてる臓器を癒して欲しいです。
私はその日、食欲がない母の為に好きな食べものを沢山買ってきた。
母:あなたは、私の買ってたもの見てたんだね
私:お母さん、このお菓子好きでしょう?
母:そうだっけ?
あんなに買った中で最初に手にしたのはお茶と甘さ控えめの大福だけだった。
もしかしたら他のお菓子は自分の好きなものではなくて
家族に食べてもらう為に買ってたものなのか…
今頃気づいた私は母の深い愛情が感謝しきれない。
母はひじきが大好きなので惣菜売り場で探したが売り切れなので急遽私が作った。
母は料理人、この味が母の舌に合うかが気がかりなところであります。
最後に…
現実に何度も泣き、私は空を見上げて母の幸せを祈ることしかできない。
昔、私が両親を困らせた時の償いとして、これから母と私の生涯ストーリーをつくりたいと心から思う。
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