母と私の奇跡の介添えストーリー#7
「歯は抜かないに越したことはない」
2021年8月 天恩日
食欲低下は歯にあった。
神経の通ってる一本の歯がグラグラしてる。
この歯が入れ歯にぶつかると母の顔は険しくなる。
昼食を共にしてると、この台詞が必ずでる。
母:「この歯がなくなれば、お肉が食べれる!
皆んなで美味しい焼肉に食べに行こう」
毎日唱えるよう言ってる…
本来なら歯を抜くだけなら歯医者で大丈夫なのだが母はたくさん薬を飲んでるので、
専門の口腔外科に出向かなければならない。
予約はニ週間先、母の体力が気になるところ。
こんなに暑いのに母は全く汗をかかない。
歯科当日…
車から降りた母は、わずか100メートルの先の歯科入り口まで歩いていけるか不安でいっぱい。
私の手をしっかり握り、一歩を踏み出している。
待合室につくとベンチに座りこんだ。
施術は45分、抜いてスッキリしたのか嬉しそうだ。
ここでまたこんなこと言うのです。
母:「お肉が食べれる…」
止血をし歯医者を後にすると、父が車で待っててくれた。
しかし、事態は急変する。
店はお盆休みで私は実家に顔を出せずにいた。
2021年8月 上弦
今日は肺の検査する。
母が痩せていた。
頬がこけて元気がない。
だが体調は悪くないらしい。
しかし、父の顔が険しい。
食欲がないので点滴してもらえないかと言ってきた。
病院に着くと、検査項目のプリントの流れに沿っていると、母はぐずね始めた。
母:「こんなこといつまで続くんだ」
私:「ずっとじゃない…」
母:「もう、いやだよ… ああ、あの世からお迎えがまだこない」
私は耳が遠くなった母にこう言った。
私:「薬を飲まなければ、お迎えがくるよ!」
周囲にいた患者の視線を感じた。
しばらくして若い医師に呼ばれた。
医師の問診がはじまり母は調子がいいと答えてたが検査結果は騙せない。
医師:「一般の人に比べて塩分濃度が低すぎる」
と医師が悩んでいた。
母:「歳のせいですよ」
医師:「それは関係ありません、腎臓やホルモンも乱れているんです。」
医師は母に病気の説明を再度伝える。
医師「いま飲んでる薬に効果がでなければ変更が必要です。更に食欲がなくなる可能性があります。」
母:「私は太りたいんです。」
私:「点滴をやっていただけませんか?」
医師:「するかしないかは医師が判断することで貴方が決めることではありません」
薬を変更しますので二週間後来てください。
母と私は気落ちして、すぐに病院をでた。
家に着き父に事情を話した。
私は父に休みの間、母は何を食べたか聞くとその答えに愕然とした。
「お粥」
なるほど塩分が足りない訳だ。
食べれない母の前で父はしっかりご飯を食べている。
その無神経さに腹がたった。
私:「せめて母が食べれるよう濃い味つけにするとかに工夫はできたでしょう。」
父:「ご飯に塩をかければいいじゃないか、オレが食べることを我慢するのか!」
もうあきれて言葉がでない。
私はそれ以来、父と目を合わさないでいた。
2021年8月 三りんぼう
母の様子がおかしい。
言葉がスローペースになり、ネガティブ感が強い。
原因は薬を変えたことなのか?
整形外科で注射を打ってないからか?
母は病院に行かなきゃならんとわかっている。
だけど身体が動かない。
キレイ好きでいつも整ってた部屋は、
今は椅子やテーブルの上に物が積み上げられている。
目をつぶり下を向いてる姿が当たり前になっていくのが切ない。
お盆が明けると母は毎年恒例、お世話になってる人に葡萄を配る。
コロナ禍、店の売上げと来店数は傾き、深刻な状況なのに、葡萄を配ると言ってきた。
少し前に母がお墓参りに行きたいと言うので車をだしたが、
降りれず車の中で待機してたことを父から聞いていた。
父は疲れて歩く労力と自分達の生活費を削ってまでもやることなのかと母に問うと…
母:「私の葡萄を待ってる人がいる…」
何年も配り続け、助けてくれる人はいるのか…
「食べなきゃダメだよ!」って言って帰る人ばかり…
ただその中でもひとりおかずを持ってきたり、世話をやいてくれたりと親身な人がいた。
人が困ってる時に差し伸べてくれる手は本物であたたかい。
うちの母は仏になりたがってる。
母:「死にたいよ… お迎えに来ないよ… もう私は枯れてるの…」
昔から横で聞いてた私も長生きする気持ちなどなかった。
最近、ある出来事がきっかけでカルチャーショックを受けた。
76歳の母は死にたがっているのに、
85歳の知り合いの女性は大腸癌と判断されたが手術をする気持ちに返す言葉を失った。
なんで、そこまでして生きたいのか私にはわからない。
だが、その人のエピソードを聞いて理解はできた。
周囲にいる人、生活環境があたたかく楽しく生きている。
では母は不幸なのか…
自問自答して、だした答えは…
幸せの形は人それぞれだが、
自分の求める幸せと相手が与える幸せがマッチしなければ幸福度は上がらない。
だけど1ミリでも幸せ感じたなら「感謝」
母はあたたかい家庭を望んでました。
父はお店を繁栄することに集中してました。
そして1ミリの幸せは食べものに困らなかったことです。
この方式を子どもにあてはめると…
親の考えを押し付けることではなく子どもの気持ちに沿って
親が心のチャンネルを合わせるだけなのですが、これが難しいのです。
県民性や性格が邪魔して思うよういかないこともありますが、
心を養うことは社会を育てることに直結してます。
お金は大事です、しかし寿命は待ってくれません。
今、母と私、未来の時間をつくらなければ私が一生後悔します。
バカな娘はバカを一緒懸命する覚悟であります。
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